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Creators' Heads

2010年9月1日

クリエイティブの遺伝子 第4回:プログラマー Peder Norrby さん 其の一

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クリエイティブの遺伝子

プログラマー Peder Norrby さん

第4回

Trapcode オーナー兼プログラマー

Peder Norrby さん

ピーダー・ノービー

Photograph by Anna Mattson

1972年9月8日、スウェーデン Uppsala(ウプサラ)生まれ
Trapcode(トラップコード)のオーナー。コンピューターグラッフィクやオーディオの制作用ソフトウェアを開発するプログラマー。
Chalmers University of Technology で数学と物理を専攻。大学を卒業後、スウェーデンの Cycore (CC) (サイコア)社に勤務。当時 After EffectsにバンドルされたCCエフェクトを作成する。
2001年、独立し、Trapcodeをスタート。開発した主なソフトウェアは、After Effectsプラグインの「Shine」「Starglow」「3D Stroke」「SoundKeys」「Lux」「Particular」など。
現在は、iPhone といったモバイルアプリケーションの開発も手掛けている。

コンポジットツールで3DCGのようなパーティクル作成を実現する「Particular」やライトバーストツール「Shine」など、After Effects や Final Cut Pro のプラグインを開発するTrapcode(トラップコード)のオーナー兼プログラマー Peder Norrby (ピーダー・ノービー)さんに訊きました。

其の一:
コマンドを入力し、それが形になって見える瞬間、それはとても素晴らしい
プログラミングは、無から有を生むことなので、クリエイティブなこと

■ これまでAfter Effectsプラグインをはじめ数々のグラフィックやオーディオのソフトウェアを発表されてきました。コンピューターとの最初の出会いを教えてくだい。

初めてコンピューターに触った時のことは、とても良く覚えています。1980年、丁度、8歳の頃です。私の母は、数学と物理の教師でした。当時、私は、その母が勤めていた地元スウェーデン、Uppsala(ウプサラ)大学の、Tiundaskolan校に、よく連れて行ってもらっていました。大学には、とても素晴らしい物理の実験室がありました。色々と面白い実験用の設備があって、実験室に行くことをとても楽しみにしていたことを覚えています。ある時、その大学のコンピューター室に行く機会がありました。そこには、スウェーデンで製造された「ABC80」というコンピューターが置かれていて、そのコンピューターを使って、とてもシンプルなプログラミングをやらせてもらったんです。その生まれて初めて作ったプログラムは、BASICを使った「10 PRINT “PEDER” 20 GOTO 10」というコードです。入力が終わると、スクリーン一杯に、自分の名前”PEDER”が表示されました。ただ、それだけのものです。でもそれは、その時の私にとって、将に強烈な体験でした。なんて面白いものがあるんだ!と、本当に驚きました。その時から、プログラミングに強い興味を持つようになりました。それがはじめて、コンピューターをやってみたいと思ったきっかけです。

私は、1972年9月8日、スウェーデンのUppsala(ウプサラ)という街で生まれ育ちました。そこは、ストックホルムから8kmほど離れたどちらかといえば自然が多い寒い地域です。母は教師。父は、スウェーデン政府で、放射線および核のセキュリティの分野で研究を行っていた科学者でした。一人っ子の、一人息子です。子供の時から絵を描くことや、美術に興味があって、美術のクラスで絵を描くことをとても楽しんでいました。色々なカラー鉛筆を使って、周りにあるものや想像したものを絵にしていました。音楽を聴くことも好きでしたが、実際に演奏したりすることはあまりありませんでした。

■ プログラミングはどのように覚えましたか?

最初は、本を買って読んだりしながら、独学で覚えました。母は、数学の授業の一貫として、コンピューターのプログラムの基本を教えていたこともあり、その基本言語の「BASIC」は、母に教えてもらいながら学びました。私に最初にコンピューターを見せてくれたのは母でしたが、私が本格的にコンピューターに惹かれていったのは、その母の影響よりも、コンピューターでゲームをするようになったことが大きいと思います。母の大学にはしょっちゅう行って、コンピューターを触っていました。

はじめて自分のコンピューターを買ったのは、12、13歳の時です。自分の小遣いをためて、購入しました。そのコンピューターは「コモドール64」というモデルです。このコモドール64には、もう完全にハマってしまいました(笑)。コンピューターに組み込まれた「BASIC」で作ったのは、リアルタイムに美しいグラフィックを音楽とともに表示するデモを見せる「デモシーン」のプログラムです。毎晩、夜中までグラフィックを動かしたり、オーディオをつけたり、時間がある限り、そのデモを作っていました。その頃は、将来、自分自身で、面白いコンピューターゲームを作りたいと考えていました。実は今でもその思いはあります。

自分でプログラミングを始めてからは、プログラミングに限りない可能性を感じて、どんどんのめり込んで行きました。14、15歳の頃には、「Horizon」というグループに入って、「Uman」というニックネームで、オリジナルのプログラムを作っては、自分のプログラミングスキルを見せ合っていました。その後、上級のアセンブリプログラミングを始めて、本格的にグラフィックをするようになっていきました。

コモドール64で作成したグラフィック(1987年)

コモドール64で作成したグラフィック(1987年)

■ プログラミングを最初にビジネスにしたのはどんなものですか?

若い時からずっとプログラミングを仕事にしようと考えていましたが、どうすればプログラミングがビジネスになるのか、全くわかりませんでした。でも、高校を卒業する、18歳の時、本気でプログラミングを仕事にしたいと考え、自分一人で会社を始めたんです。コンピューターグラフィックを制作する会社「PN Fractals」(PN フラクタルズ(PNはピーダーのイニシャル))です。そこでは、フラクタルイメージを使って、コンピューターグラフィックスのポスターを制作しました。このポスターの値段は、フレーム付きで、800SEK、USドルで110くらいにしたと思います。けれど、これを売るのには、本当に苦労しました。当時は、インターネットが無い時代でしたので、お客を訪問しながらポスターを売らなければいけません。起業から6ヶ月、結局、ポスターは3枚しか売れず、あえなく会社は終了です。当初は進学はせずに、社会人として生計をたてるつもりでしたが、完全に失敗に終わりました。ビジネスモデルが、良くなかったと思います。作ったものをどのように売るかまで、しっかり考えられていませんでした。値段も高かったし、顧客も少ないビジネスでした。今なら、オンラインストアで販売できるので、当時よりもずっと楽になりましたね。ただ、この失敗は、後にTrapcodeを始めるにあたって、とてもよい経験になったと思います。書類を用意して、実際に会社を立ち上げた時は、ちょっと怖じけづきました。でも、この「PN Fractals」が失敗したことで、プログラミングの道へ真剣に進みたいという想いは、より一層強くなりました。

そこで私は、もう一度コンピューターを学び直すことに決めて、Gothenburg(イェーテボリ)にあるテクノロジーの大学、Chalmers University of Technology に進学しました。専攻は、コンピューターサイエンス&エンジニア(Computer Science & Engineering)で、5年間、数学と物理を学びました。これまで、独学である程度プログラミングは取得していましたが、本来のプログラミング手法をあらためて学び直したわけです。そこでは、あえて美術などのアーティスティックなことは専攻せず、エンジニア分野の勉強に集中しました。それは、絵画などの美術は、自分である程度学べても、数学や物理などを独学で習得するのは難しいと思ったためです。この選択は非常に有意義なものになりました。物理シミュレーションをプログラミングしようとしている現在、数学や物理の知識がとても役立っているからです。

大学在学中は、Webサイトを作成したり、絵を描いたりしていました。その時は、オーディアビジュアライゼーション(ビジュアルとオーディオを組み合わせて表現する)にハマっていて、そのプログラムを作っていました。学校では、自分のようなコンピューター好きの仲間に出会えたので、とてもよい時間を過ごせたと思います。

 Peder Painting(1997年)

Peder Painting(1997年)

■ 大学を卒業した時、どんな仕事をするか決めていたのですか?

卒業後、会社を始めたいと思っていたのですが、在学中には、何をしたらよいか決めることができませんでした。そこで大学を卒業してから、6ヶ月程、メキシコや南米を旅行しました。バックパッカーの一人旅です。旅行中、自分を見つめ直すことで、何をしたらよいか決めようと考えたんです。それまでアジア地域(インド、ネパール、タイ)には行ったことがありましたので、まだ行ったことがないメキシコや南米を選びました。アステカやマヤなどのアート、文化、建築物にも興味があったので、旅行はとてもよい体験になりました。でも結局、旅行中は、今後何をするべきか、決めることはできませんでした(笑)。

しかし、旅行後、プログラミングの師匠となる人に出会うことができました。Final Effects(Cycore Effect(サイコア・エフェクト)の原型)というプラグインを開発した、Jens Enqvist(ヤンス・エンクビスト)氏です。このJens氏がチーフエンジニアをしていた会社、Cycore (CC)(サイコア) がプログラマーを募集している求人広告を見つけたことがきっかけでした。Cycoreの仕事場は、私の地元、Uppsalaの市街にありました。電話してアポを取り、面接してすぐに就職が決まりました。当時 After Effectsは、とても素晴らしいプログラムで、ユーザーコミュニティーも皆で協力しあっていて、とても良い環境があるなと思っていました。この After Effects プラグインを開発していた Cycore (CC) との出会いは、グラフィックのプログラミングに興味があった私にとって、とてもよいタイミングでした。これが私の最初のAfter Effectsとの出会いです。

私は、Jens 氏から良いプログラムの書き方を教わりました。良いプログラムとは、クラッシュせず、処理が速く、ユーザーが使い易いというものです。私は、数学が得意なのでその知識はプログラミングに非常に役に立っていますが、そのコードはあまり美しくなく、素晴らしいプログラマーとはいえないと思います。私は、効率的なアルゴリズムを実行するよりも、見つけることが好きなんです。ですから、私のプログラミングは速いですが、少し読みにくいでしょう。いつも後で戻って、読み易いコードに調整しようと思っているのですが、あまりできていないかもしれません(笑)。

Cycore時代、私は、当時After EffectsにバンドルされたCCエフェクトを作成しました。Jens氏は、Mac版の開発をし、私はWindows版の開発や、チュートリアルの作成をしていました。Cycoreと一緒にNAB Showに行った時、業界の人達と出会うことができた時は、After Effects コミュニティーは本当に素晴らしいと思いました。

■ Trapcodeを立ち上げたきっかけは?

Cycoreに勤めたのは、僅か1年半でした。それは、Cycoreが、当時 After Effectsプラグインの開発を止め※、Webテクノロジーの開発に集中しようとしていたからです。(※数年後、Cycoreは、After Effectsプラグインの開発を再開しています)逆にこれはとても良いビジネスチャンスだと思い、自身でAfter Effectsプラグインの開発を行う会社を作ろうと決意しました。そして、Cycoreのプラグインが、After Effectsにバンドルされるようになった際、私のCycoreでの最後の仕事として、シアトルに行って、After Effectsへのインテグレーション作業を行った後、会社を辞めました。そして、2001年、Trapcodeをスタートしました。私が、29歳の時です。

最初に開発した Trapcodeのプラグインは、「Shine」です。このShineの製品コンセプトは、Cycoreにいた時から考えていたものでした。Shineは、それまでのライトバースト効果とは違い、レンダリングスピードがより高速になることを目指しました。ほか、エフェクトをColorize(カラー化)する新しい機能や、きらめきをRay(レイ)に加える機能も付けています。

その後、続けて3D Strokeを開発しました。この製品は、After Effectsのカメラを使って3Dを検証していた時、米国のモーショングラフィックスタジオで働くAEアーティストの友達がAfter Effectsに搭載しているストロークは太さが一定なので、次第に細くなるストロークはできないのかとリクエストを聞いたのがきっかけです。このアイディアを元に、3D空間と次第に細くなるストロークのアイディアを統合しながら、リピーターなどの機能を加えて、3D Strokeが生まれました。

Trapcode Shine/3D Stroke

3番目の製品は、SoundKeysです。映像と音楽をシンクさせて、一緒に動かすアイディアは、前々から是非とも形にしたいと考えていました。製品開発は製品によって異なりますが、プログラミングには、だいたい6ヶ月ぐらいかかっています。Particularの制作は、初期バージョンに2年、バージョン2には更に2年かかりました。StarglowやShineは3~6ヶ月くらいの、比較的短い期間で開発しました。

■ 製品のアイディアは、どのように生まれるのですか?

これまで開発したTrapcode製品のアイディアは、全て若い頃からずっと「形にしたい!」と考えていたものです。例えば、Particularは、3D Strokeの開発をしていた時、3D空間でのパーティクル効果を検証していたときからパーティクル効果を考えていました。開発するきっかけは、ユーザーからAfter Effectsのカメラをサポートした3Dパーティクルシステムのリクエストを沢山頂いたからです。製品としてれまで?にバージョン1、1.5、2.0と開発してきて、様々な新機能を追加してきました。様々なものからインスピレーションやアイディアを得て、開発に携わってきました。

 Trapcode Particular

特に印象に残っているのは、スポットライトを作成する Trapcode Lux の製品アイディアです。ある夜、街を歩いて、街灯を見たとき、光りが円錐で照っていました。そのときは雪も降っていて、スポットライトの光の中で雪が舞っているのを見て、とても美しいなと思いました。これをプラグインで再現できるのかと興味を持ち、挑戦することにしました。その時、舞っていた雪は、Particularのアイディアにもなっています。

 Trapcode Lux

■ プログラミングの素晴らしさは何ですか?

頭のなかで想像したイメージを、実際にスクリーン上で実現させることができるということです。

私は、プログラミングに対する、パッションがあります。コマンドを入力して、画面上で起こることが見えるのは、とても素晴らしいことです。これまで人生の半分以上を、プログラミングに費やしてきましたが、今でもこの瞬間は、とてもユニークで素敵なものと感じています。それはとても楽しく、解放感があります。自分がプログラムしたものは完璧ではなく、決して満足していませんが、今でも自分の頭の中のアイディアを形にすることが、大好きです。

プログラミングは、無から有を生むことなので、クリエイティブなことだと思っています。ソフトウェアは、何も無い所から作り出したものなので、一つの作品と言えると思います。しかし、クリエイティブになることと、アーティストになることは異なることだと思っています。クリエイティビティは、オブジェクティブ、客観的であり、アーティストになることはサブジェクティブ、主観的であるのではないでしょうか。アーティストは、自分がそう考えればアーティストであり、自分の作品をアートだと言えるからです。ですから、アーティストになることは比較的簡単だと思います。私自身のスタンスは、アーティストへのツールを提供することだと考えています。基本的には、Trapcodeのツールは自分自身で使いたくて開発をしているのですが、アーティストの皆さんが私が作ったツールを使ってクリエイティブなことをしてくれているのは、本当に素晴らしいことです。

日本やインドに行った時、テレビをつけたら自身のツールが使われていました。それを見た時は、最高の気分でした!自分の作ったツールがテレビなどの映像で使われているのを見るのは、本当に嬉しいです。自分の作ったツールが世界中のアーティストに活用されていることは、開発者としてとても嬉しいですし、光栄なことと思っています。

其の二に続く

〜 次回予告 其の二 〜

プログラムを完成させるためには、集中して断固とした姿勢が大切
どのアイディアを実行するか決め、実現するまで根気よく続けることは本当に大変