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Creators' Heads

2010年11月2日

クリエイティブの遺伝子 第5回:映像ディレクター 篠崎亨さん 其の一

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クリエイティブの遺伝子

映像ディレクター 篠崎亨さん

第5回

映像ディレクター

篠崎亨 さん

Toru Shinozaki

1970年 新潟県新津市(現・新潟市秋葉区)生まれ
1991年 東放学園専門学校 常勤講師に
1998年 フリーランスに
主な作品:
映画「メトロポリス」(りんたろう監督)CGストラクチャ−デザイン
映画「イノセンス」(押井守監督)CGIアートディレクター
映画「あらしのよるに」(杉井ギサブロー監督)映像ディレクター
DVD「プロローグ・オブ・BLAME!」(渡辺誠之監督)クリエイティブディレクター
映画「よなよなペンギン」(りんたろう監督)CGIスーパーバイザー

実写的描写をアニメに盛り込んだ大掛かりな「イノセンス」の3D空間背景セットを手がけ、児童文学ベストセラー「あらしのよるに」では、映像ディレクターを担当し、フル3DCGの劇場アニメーション作品「よなよなペンギン」で、3DCGとコンポジットを統括するCGIスーパーバイザーを務めるなど、劇場アニメーション作品のデジタルパートで活躍される篠崎亨さんに、クリエイティブへの熱い思いを訊きました。

其の一:
ラッシュテストで初めて自分の作ったショットの絵がスクリーンにどーんと出た時の気持ち良さは、一生忘れられませんね。と同時に下手なことはできない。手を抜いたらストレートにスクリーンに出る。努力をし続けないといけないと思いましたね。これは逃げも隠れもできないぞと。

■ 映画との出会いはどんなものだったのでしょうか?

りんたろう監督の「銀河鉄道999」だったと思います。小学校3、4年生くらいだったと思いますが、1本立て映画として観た最初の映画の原体験として残っています。まさか後々その監督と仕事をするなんて思ってもみなかったですね。僕が映像というものを身近に感じたのは、夜中にこっそり見るテレビ映画でした。一番衝撃を受けたのはヒッチコック。それも「サイコ」ですね。小学校6年生の深夜、驚きと恐怖で心が張り付きました。これがきっかけで、中学、高校と映画の虜になりました。ちょうど、その頃レンタルビデオが出始めた頃でしたが、家にビデオデッキがなく、友達の家で観たりしていました。それと地元の街には映画館などありませんでしたが、お金が貯まれば電車で30分かかる新潟市内の映画館で上映中のものをよく観てました。昔は半額になる”映画の日”は12月1日だけで、その日は決まって学校は病欠でした。(笑)

■ CGに興味を持ったきっかけは?

小学校5年生頃、親戚の電気屋の店頭にナショナルのパソコンが置いてあったのですが、それをよく使わせてもらっていました。お店の店頭でパソコン雑誌を見ながらプログラムを打ち込んでいるうちに、ある程度理屈が分かってプログラムを書けるようになりました。それで簡単なゲームを作ったりして遊んでいましたね。だから、今でもスクリプトには、そんなに抵抗はないです。ただ、ちゃんとしたツールを作るというのは無理ですが、ちょっとした制御のスクリプトは、抵抗なく使えます。あの頃の経験が活きてるのかもしれません。

”映画も好き” それに、”コンピュータも好き”。そこで、この二つを両立できる仕事がないかと思っていたところ、”CGというものがあるらしい”と、”だったらちょうどいいじゃん”って。かなり短絡的に決めました。そこで専門学校に進学した方がいいだろうと考え、東放学園専門学校の放送芸術科の放送CGコースを選びました。この学校を選んだ理由は、僕はYMOのファンで、坂本龍一氏とよく映像でコラボレーションしていた原田大三郎さん(NHKスペシャル「驚異の小宇宙 人体II 脳と心」 CG監督/1993年)が講師だということで、坂本さんと会えるかもしれないというミーハーな思惑もありました。

■ その思惑は実現したのですか?

97年に、原田さんから坂本龍一コンサートツアーの映像をやるから手伝えと言われ、嬉々として参加しました。そこでは、ステージ上の巨大スクリーンに映し出す映像を送出するための、PCやVTRのオペレーションをしていましたが、実際はタバコ買ってこい、パン買ってこい、機材持って来いと、大変でした。坂本龍一さんとは、コンサートの本番で使用する映像素材の編集作業中に、様子を見たいからと編集スタジオを訪ねて来られて、そこで初めてお会いしました。もうカチカチに緊張してしまいまして。原田さんがそれを見て、面白がって僕に言うんですよ。「お前、教授のところにいって、今の曲はイマイチだって言ってこい」って。「言えないですよ、そんなー」で、怒られたりしてました。

■ 卒業後は、どのような作品にかかわったのですか?

卒業当時は丁度バブルの最盛期で超売り手市場でしたから、今からは想像できない程就職先はありました。でも、東放学園から残って先生をやらないかと声をかけられ、卒業後はそのまま学校の職員となりました。その当時、講師だった原田さんだけでなく、杉井ギサブローさん(「あらしのよるに」監督)や前田康生さん(メトロポリスCGディレクター)の授業のアシスタントなどをして、6年間常勤講師として在籍していました。このころの僕は、アニメの制作に携わるような仕事には興味がなくて、どちらかというと実写の映画やCMなどでCGをどう使っていくかというところに興味がありましたので、アニメのことはよく分かりませんでした。いろいろアニメ用語が飛び交うんですけれども、最初はなんのこっちゃわからない。でも、杉井さんや前田さんのアシスタントをさせてもらったおかげで制作過程だけでなく、アニメを作っていくことの面白さも教わり、興味が湧くようになりました。

■ フリーになられて初めての大作「メトロポリス」では、どのような制作を?

映画の中に出てくるメインの建物、ジグラットと言うんですが、それを4人ぐらいのチームで、CGを制作する仕事のまとめ役をしました。建物のモデリング、ライティング、レンダリング、コンポジット、要はその建物が出てくるカットを、絵としてすべて仕上げるということです。1年程掛かって、こちらとしてはほぼジグラットの造形が出来上がったところまで来たのですが、監督のりんたろうさんからのOKがでない。「本当にこれでいいの?」みたいな。今思えば、全てをデジタルで作るのは、スタッフ全員も初めてで、何か面白い事が出来るだろうという期待はあったと思うのですが、では具体的に、どのようなタイミングでどのようなチェックやOK/NG出しをすればいいのか、あったのではないかと思います。それで、こちらとしてもあまり何か言われないのでドンドン作っていってしまった。どの時点で何をどのようにチェックしてもらうか、こちらからしっかりサジェスションをするべきだったのですが、結果的に、作った物を1回捨てて、新たに1年半かけて作り直しました。でも、この経験は僕が今後この世界で生きて行く上で、大いに役立ちました。

■ 具体的には、どういうことですか?

最初は、CGそのものを作る事については戸惑いはなかったのですが、アニメの中のワークフローとしてCGをどう組み込むのかという事については手探りで制作をしていました。ところが次第に色々な部分で絵のバランスが取れないとか、形のバランスが悪いとか、そうした部分が出てきたんです。この辺がちょっと寂しいねとなったら、そこだけワシャワシャと部品を付けたりと、そんなやり方をしていたんです。要するに,手描きのセクションとの制作ペースが違うので、仕上がりのカメラアングルを想定しないで、その建物の造形そのものを中心に考えてしまっていたんです。初めにあるべきワークフローのコンセプトがなかったということなんです。そのワークフローを作っていくためにも、多くのスタッフたちとのコミュニケーションがとても重要だと感じました。

その後さらに1年半かけて作り直しましたが、おかげでジグラットに関しては、当時としては前代未聞の作り込みをしました。Lightwave3Dで作っていたのですが、窓1つ1つをモデリングしていた程です。窓などを表現する場合はテクスチャーを貼るだけで、省力化することもあるのですが、徹底して作り込みました。ラッシュテストで逃げも隠れもできないということが解っていたからです。ただ、窓1つ1つをモデリングしたようなデータでは重すぎて、レンダリングが間に合わないので、カメラサイズに合わせてデータ量の違うモデリングの作り込みを用意しました。寄ったとき用の窓1つ1つをモデリングしたようなデータの重いもの、引いたとき用のテクスチャーで省力化したデータの軽いもの、そしてその中間、と三パターンを用意しました。たまたまLightwave3Dを開発したNewTek社のプログラマーがスタジオに見学に来たのですが、この建物のモデリングを見て「クレイジー」だって驚いていました。

3年間没頭した作品が初めてスクリーンにどーんと出た時の気持ち良さは、一生忘れられませんね。うわあ、すごいと。作ったものが全部出てきちゃうぞ、下手なことはできない、逃げも隠れもできない、そう実感しました。だから変に手を抜いたらストレートにスクリーンに出る。頭の中で想い描いた映像と全く同じものは出来ないけれど、そこに1歩でも近づく努力をやり続けないといけないと思いましたね。

僕にとって、この「メトロポリス」は、初めてのアニメーション作品で初めての映画。全てが初めて尽くしでしたが、映画を作るには大変な覚悟がいるのだと、かえって腹が据わりました。「メトロポリス」の後は、面白いものがあれば何でも関わりたいと思いましたが、ただ、可能な限り劇場用作品にかかわっていきたいという気持ちは強くなりました。

映像ディレクター 篠崎亨さん

■ 「イノセンス」はどのように関わられたのですか?

「メトロポリス」の美術監督だった平田秀一さんが「イノセンス」の美術監督をやることになり、その平田さんから一緒にやらないかと誘われました。監督の押井守さんからは、背景は「メトロポリス」のようなCG的な硬質感は避けて、手描きの絵としての質感は欲しい、ただし、実写的にカメラを振り回したい、ということを言われました。つまり、背景を紙に手で描いても一枚の絵ですからカメラは入っていけない。だけどCGでセットをモデリングし、建て込んでいればカメラは自由に入っていけるし、動かせる。だから実写と同じくような感覚で3DCGでシーンごとにセットを組み、そこでカメラを回わせるように制作しなければなりません。このようなやり方を行うと質感の方が問題になってきます。

通常のCG制作で質感をだすには、テクスチャーやマテリアルの設定を行いシェーディングの調整を行って絵の質感を作っていきます。このような方法であればカメラも自由に動き回れますが、CG特有の硬質感を取り除き、手描きの絵に近付けるのは困難です。そこで、この作品では、「メトロポリス」のような過剰なモデリングによってディテールを表現するのではなく、比較的ラフにモデリングしたオブジェクトに手描きの絵をそのまま投影する、カメラマップという手法を多用しました。プロジェクターで壁に絵を投影し、それを別のカメラで撮影するような感じです。カメラマップは、アニメ作品で3DCGによるカメラワークを行うとき、よく使われる手法ですが、通常1つのカットで投影する絵は数枚で、カメラの自由度も低く直線的なカメラワークになりがちです。「イノセンス」ではカメラが回り込んだりするため、1つのカットで200枚以上の絵を投影したカットもあります。カメラが回り込むと、カットのはじめに見えていなかった部分が、次々と見えてくるので、多くの投影する絵が必要になります。このような手法でうまく表現できたと思っています。

其の二に続く

〜 次回予告 其の二 〜

アニメは自由な発想で、何でもありの世界がゼロから構築できる。そこが一番面白いところ。SFやファンタジー映画も似ているかもしれないけれど、現物ありきで始まるから、制約は大きい。自在に作れるアニメの魅力は捨てられませんね。